園長わたにぃです。
こんにちは!
2020年を無事迎え、この年末年始は、
とにかく色んなものをリセット!
と言いますか、「何もしない」を決めて、
本当に「何もしなかった」、まさに「合間」の時間を
家族と過ごしました。
メールもろくに返信せず、
電話もろくにでず(いや、助かった!かかってきてない(^^;))
人として、そんな時間を過ごしてもいい時間が
日本人にとってはこのお正月なのではないでしょうか?
こうやって、「合間」を過ごしていると、
よくお昼寝もできたし、よく子どもたちとベタベタできたり、
フットワーク軽く出かけられたりと、
日常なんて色々なものに追われていたことか!
ということに気づかされる。
コーヒーも、リラックスの為のコーヒーではなく、
今日を戦うためのコーヒーになっている。
お昼寝も、次の戦闘の為に体を休める仮眠であって、
本当に何にも考えず目を瞑るお昼寝にはなっていない。
そんな日常が本当に個人の自由や、幸せにつながるんでしょうか?
何のために、自分は生きているんだろう?
この年初めは、そんなことをグダーーーっとしながら思うのに、
とても貴重であったと振り返ります。
保育の世界では、3つの間が大事、
と言います。
これは、「空間」・「仲間」・「時間」で、
これをたっぷり保障できる場を子どもと大人と共に創っていくことで
生まれて間もない子どもたちはこの世界への信頼を
獲得していくのだと言われています。
でも、僕はこれに「合間」(隙間でもいいかも)を加えたい。
デンマークでいうところのヒュッゲ(Hygge)、
ドイツで言うところのゲミュートゥリヒカイトゥ(Gemütlichkeit)
という感覚に似ているかもしれません。
とにかく「色んな鎧を脱いで、自分らしくほっとする時間」とでも言いましょうか。
「合間」です。
人間関係も、仕事も、ひいては人生も
何かに追われながら、自分以外の意志に翻弄されながら
僕らは実は生きていますね。
そして、それこそが「この世で生きる」ということなのだと、
社会(教育)や家庭の場で、子ども達に押し付けていやしまいか、
一度立ち止まって考える必要があると思うのです。
本当は、みんな幸せに生きたい、
もっとシンプルに生きたいはずなのに、
一体どこをどうしたら、こんなに複雑な意志の渦に
巻き込まれてしまったのか?
少なくとも、子ども達には、
「自分が自分らしく、心地よくある」
という感覚を知ってから、大人になっていってほしい。
そうすれば、きっと「立ち止まれる大人」が増えていく、
そして、
「合間」を生きたいと願う人たちにあふれる社会になっていくのではないか?
そんな風に感じるのです。
もう少し、もう少しでいいから、
人生に余白感がほしい所です。
森のようちえん ちいろばのこれからも、
そんな「合間」を楽しめる、
人生の「隙間」を楽しめる場所にしていきたいと、
そう思うわけです。
教育が大事、何が大事と、
色々な話が飛び交っていますが、
つまるところ皆、自分を大事にして、
1人ひとりが幸せだと感じられる瞬間が
増えていくことが大事ではないでしょうか?
全てのことは、ある意味その「幸せ」のための、
「手段」過ぎないのです。
「手段」が「目的」になっている!というのは、
麹町中学校の校長工藤先生です。
誰かの犠牲の上に成り立つ、
誰かが見えないところで涙を流しながら、
一部の人が幸せに感じる世界は、「やめよう」。
「ガマンは美徳」は、ほとんど迷信だ。
自他ともに、幸せを感じられる世界こそ、
僕らが本当に望んでいきたいものではないでしょうか?
と、暑(熱)っぽく自分の心に言い聞かせてみました(笑)
こんなに長々と書いてきて、
実はその世界の実現は、
誰もがぽかーーんとするくらいシンプルで、
シンプルすぎるものだと思うのです。
ここら辺は、押し付けられていない「子どもたち」
の姿から、僕ら大人が観て学ぶところは大いにあると
保育現場にいるとよく思います。
「合間」を中々生きられない大人が
子どもに「合間」を語るは何か矛盾している気がして、
とにかく保育技術や色んな頭でっかち理論は置いておいて、
子どもに語りたい、伝えたいことを
大人が今自分の人生でちゃんと「わかる」ために、
生きるちょとした「合間」を、
日々の中で生み出したいと思う2020年の始まりなのでした。
さて、このつれづれ日記がどれほど続くかはわかりません(^^;
でも自分だけでなく、スタッフも同じ空間を共有したら、
切磋琢磨するのではないかと思い、
2020年からはじまる
「ちいろば先生たちのつれづれ」を
スタートさせていきたいと、
なぜか今、思い立ちました。
ちいろば わたにぃ(内保 亘)

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